松村昭雄
(翻訳 神学博士 川上直哉)
「シリアに展開している部隊を撤収する」と、トランプ大統領が今週、発表しました。ジョン・ボルトンやブレット・マクガークといった側近の反対を押し切っての決定でした。政治的な問題はさて措くとして、この決定によってシリアで起こっている悲劇への関心が新しく呼び起こされることでしょう。すでにアメリカのニュース番組や情報サイトそして私たちの頭の中でも、「シリア」という言葉がいつも最初に現れるようになっています。
ニュースを見てみますと、子どもたちのことが気になってきます。無理矢理持ち込まれた暴力と恐怖は、子どもたちの中を行き廻り、苦しめています。また、死者のことを思いますと、心が痛みます。今行われている戦争で、50万人にも及ぶ人命が喪われました。そして、何とか生き延びようとしている600万人の難民のことが気がかりです。数百万に及ぶ人々が、国内に居場所を失いつつ、その上で国外に出られない、あるいはそれでも国外には出たくない、という環境に置かれています。難民となってシリア国境線を超えて国外に脱出すると、どうなるのでしょうか。そこには新たな困難が待ち受けています。イラクには内戦があります。クルド人は独立を求めて戦っています。イスラエルとパレスチナの間には、政治的支配と安全保障をめぐる戦いが継続中です――1995年12月にエリコで開催されるはずだった「グローバルフォーラム」のために尽力したラビン首相のことを、これからもずっと、思い出し続けるでしょう。ラビン首相はアラファト議長と共に力を尽くしました。彼の力強い努力は、彼が暗殺されるその時まで続いていたのでした。
シリア危機は、避けられたはずの出来事でした。それは人災と呼ぶべきものです。政治的・宗教的指導者が、シリアにおいて、あるいは世界中で、自らの利益や栄誉を求め、そして今般の危機へと進んだのです。その責任の所在について、今は措いておきましょう。ただ、今私は「人々(people)」ということを強調して考えたいのです。「制度・機構(institution)」ではありません。「人々」が、変革をもたらすのです。「制度・機構」は道具です。それを使うのは「人々」なのです。
実に、個々人こそが、物事を良くして行く可能性を持った最良の主体でもあるのです。それでは今、シリアで起こりつつある内戦に向き合うこの時、「個々人」あるいは「人々」が持つ力が、いったいどんな出来事をもたらすというのでしょうか。
ここで私は、ひとりの人の叡智を思い出します。その人の名はグランド・ムフティ・クフタロといいました。1964年から、その生涯を終える2004年まで、卓越した宗教指導者としてシリアに尽力した人物です。彼の叡智があれば、シリア危機を避けることもできるかもしれない。そのことを確かめることこそできないのですが、私はそう確信しているのです。
ある時、私は、とても繊細な政治的問題について、グランド・ムフティ師と話し合わなければならなくなりました。そのころ、私はしばしば共産国やシリアなどにいる仲間と電話で話し合うことがありましたが、そういう時はいつも、その電話が盗聴されていることを想定しなければなりませんでした。ですから、私はいつも、自分の使う言葉を注意深く選ぶ必要がありました。私の友人に不利益が及ぶことがないように、細心の注意を要したのです。
二日間、私は悩みぬきました。私の胸の内にあるこの議題を、グランド・ムフティ師に伝えたい。その最良の方法はなんだろう。もし私が「あなたを訪問したい」と言ったら、外務省関連の役所で引っかかってしまって、宗教関連の役所との交渉までずいぶん手間取ってしまうだろう。これが私の心配でした。そんなことになれば、ビザの申請から始まって、私が所属している国連の手続き等、様々な事柄に時間を取られることは必至だったのです。
それで、私はこう言う事に決めました。「グランド・ムフティさん、あなたに“会いたい”のですが・・・。」この私の言葉へのグランド・ムフティ師の返答に、私はずいぶん驚かされたものでした。彼はこう答えたのです。「アキオさん、ありがとう。国際会議への私の招待に応じてくださったのですね!」もちろん、そんな国際会議は存在していなかったのです。グランド・ムフティ師は、私の声を聞いてすぐ、状況判断を下し、私の胸の内に秘めていた課題をどう取り扱ったらよいか察知したのでした。彼の叡智を、私は印象深く心に留めました。彼にはそこにあった困難な状況にどう立ち向かたら良いかを見抜く力があったのです。片方には役所が持つ窮屈な硬直性があり、他方には理想を目指す政治が日進月歩で変動する。この二つの間に、いつも課題が生じます。彼には過去の知見を参照し、その問題について理解する力がありました。彼の視野はいつもとても広く、彼はいつも遠くまで見通す人だったのです。
グランド・ムフティ・クフタロ師がアル=アサド大統領と出会っていたら・・・それも、今起こっている問題の、まだ初期の頃、メディアなどで広く知られる形ではなく、二人が出会っていたら――と、考えてしまいます。もしそうしていたら、ムフティ師の叡智は、きっと、状況が制御不能となる以前へと、アル=アサド大統領の思いを向けなおしてくれたのではないか。この推測は、単なる希望的観測を超えたものだと、私はそう確信しているのです。
しかし、今既に、内戦状態となってから7年もの月日が経ってしまいました。私たちの目には、ただ暴力だけが継続し、政治的な解決など何一つないように見えます。米国の指導者たちは、勇気をもって行動を起こすことをせず、面目を保つことも諦め、別の方法を試す努力を放棄しています。難民と移民は、その存在自体が欧州と英国の社会的分断を激化させながら、今も相変わらず不当に取り扱われています。この現実を前に、何とかもっと建設的な見通しを持てないかと、私も苦慮しています。この状況がどんな帰結に至るのか、その全体像を把握することすら、私たちの指導者にはできていない。そんな数年間を私たちは過ごしてきました。そして、この現実はただひたすら悪くなっています。
私たち社会の側が、既存の制度や機構に信頼することは、もう、できないようです。それでも、個々人に希望を託し続けるべきです。ソーシャルメディアは肥え太り、無責任な記事と怒声・罵声にあふれかえっています。もうそこに信頼すべき記事を見出すことすら難しくなってしまいました。しかしそれでも、勇気が発揮される余地を残さなければなりません。シリアに解決をもたらすべく話し合うのは、制度や機構ではなく、個々人なのです。そして、欧州に現れた新しい社会を通して私たちを導くのも、制度や機構ではなく、個々人なのです。
グランド・ムフティ・クフタロ師がいてくれればと、思われてなりません。シリアでも、大切なのは彼のような個人の働きなのです。そのことは、絶対に確かなことなのです。