グウ・チョキ・パーと致命的なボキャブラリー

2010102

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子供の頃に私達はグーチョキパーのゲームをしました。グー(石)はチョキ(ハサミ)に勝ち、パー(紙)はグー(石)に勝ちます。この3つの中に絶対的な力を持つものはいないのです。結果はいつでも相手方の戦術次第です。

 rockspaperscissors
このゲームは民主的自治にもあてはまります。行政府官僚は法を執行するので国民より力を持ちます。立法府は法を作り予算の承認をするので行政府官僚より力を持ちます。国民は選挙の有権者なので立法者より力を持ちます。

 

これを個人の観点、特に私の個人的ケースでとらえてみましょう。

私のもつ不利な点のひとつは、英語を話すのが不得意でスペイン語もフランス語も(また世界の人口の37%が話す中国語もヒンドゥー語も)話しません。でも私は訪問した百カ国で多くの著名な方々と面会した利点をもっています。これら全ての言語を話さないことは何かと便利でした。私は人の意図と口に出さない表現を理解する鋭い目を持っています。そのことは細かいレベルに囚われずに全体像を捕らえることに役立ちました。私は状況をあたかも散文ではなく詩のように読みとります。ところが、私が母国である日本の人達と問題の議論をする時には、一語一句や表現の細かな意味が相手の本音を理解をすることを妨げるのです。討論の全体像を見失っていることに気がつきます。見解の全体的なバランスをとるには両方の視点がなければなりません。木が無ければ森はないのです!ひとつの視点が他方を補ってバランスをとるのです。

 

私は民主主義(デモクラシー)を強く信じています。(デモは民、クラトは力を意味)政府は私達の言論の自由、信仰の自由、報道の自由を保証する法律を通じて、その国民から力を得るのです。そして民主主義は有難いことにグーチョキパーの規則から逃れることはありません。しかしこの繋がりは選挙の年には危険なほど薄くなります。

 

米国の政治家は11月の中間選挙を決定する問題にかかって手一杯です。二つの戦争と国の債務が政治のほとんどのスペースを埋めています。しかし、上昇する失業率、移民、国家エネルギー政策、教育政策、福祉保証、健康保険、州の赤字などの議案は引き続きひしめいています。

夫々の問題が多くの生活を妨げ、どれか一つに優先順位をつけることは難しいことです。然しながら、私達は戦争と他の問題とは区別しなければなりません。

 

全ての社会的経済的問題は差し替えや再生がきき、長期的には復活されます。しかし戦争には異なる代償がかかります。愛する人達を失い、若者達の人生を混乱に落とし、国家への敬意と共有する歴史を作りあげる国家記念物を破壊します。こうしたものは取替えのきくものではないのです。これらは経済的センスでは測ることのできないものなのです。

 

米国憲法は議会が戦争宣言の力を有すると述べています。それでは議会が国をそのような道に進ませるかどうかは、誰が決めるのでしょうか?

 

ある程度までは勿論、私達国民です。有権者は議会に責任があるとみなしますが、殆どは社会的経済的な問題の為です。現在米国が行っている戦争がアメリカ国民の業を煮やすことはまずありません。軍にいるのは国民のわずか1%程です。家族や友人を合わせるとその数は増えますが、それでも選挙を左右する数には至りません。

 

そこに私の強い懸念があります。現在のアメリカ国民は議会に戦争継続の責任があるとはみなしていません。その監視がなければ、政治家は選挙で当選する為には何とでも好きな様にいえるのです。好むままに強い言葉遣いをし、好きなように意見を形成します。

 

この強い言葉遣い(「挑発的ボキャブラリー」と呼びましょう)は、24時間報道や即メディアのこの時代には、人が思う以上に害を与えます。テリー・ジョーンズさんを見てください。コーランを燃やすと脅しているフロリダの小さなコミュニティ牧師に、オバマ大統領、ゲイツ長官、ペトラエウス将軍から、あのような強いリアクションを起こさせ、国際的なメディアを完全に引きつけることができるとは、誰が思いますか?ひとつの出来事がそれ程大きく広がることは20世紀の戦争の時代には不可能だったのです。

 

グーチョキパーのゲームに戻って考えましょう。議会のもつ戦争に関する力にアメリカ国民の監視を取り戻す為には、何がその動機になるのかを解ろうとして私はとても困惑しています。著名な友人たちの何人かは、5%の戦争税が有権者を戦争についてもう少し注意深く考えさせる道具になるかもしれないと私に言いました。でもそのような税金を作る指導者がどこにいるでしょうか?

 

歴史を通して挑発的言葉は戦争と意図しない結果の拡大を起こしました。今回も違いはないでしょう。後になってから悪化する状況を遮ることは、勿論のこと、たいへんに難しいことです。

 

21世紀において、挑発的ボキャブラリーは相手国を刺激する最も強力な武器であり、コインの反対側、認識を築くボキャブラリーはポジティプな目標を達成するための最も強力な道具である、ということを私達は少なくとも理解すべきです。さもなければ、政治家は若い兵士達の代償の上でのみ、話をするのです。

 

 

 

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翻訳:木村道子

英文オリジナル:http://akiomatsumura.com/2010/10/rock-paper-scissors-the-deadly-vocabulary-of-  fighting.html