アメリカの新しいデジタルコルプス

2016年9月30日

松 村 昭 雄

 

米国の政治家がソーシャルメデイアの扱い方を覚え始めたのは、つい最近のことです。オバマ大統領とヒラリー・クリントン氏はコメデイショー「Between Two Ferns」に出演し、政策を宣伝して若者たちの間で話題となりました。ドナルド・トランプ氏はツイ―トでの得点を伸ばしていいます。ただし、「ポピュラーになること」だけでは、私たちの世界のデジタルな領域で十分な力を持つことには至りません。(もちろん、オバマ大統領は、サイバーセキュリティなどのデジタルなイノベーションを通して米国を発展させました。「米国情報相(US Digital Service)」はその例でしょう。オバマ大統領は、人工知能をめぐる対話が展開する方向へと力添えをしています。最近のguest-edited WIRED magazine を参照ください。)

 

現代世界におけるデジタル・ネットワークは、パワフルです。外交政策の現場でもその中枢でも、サイバー攻撃はすさまじく、あっという間に侵入してきます(例えば、米国の選挙についていえば、まだ一カ月以上先に予定されている段階で、もうすでにハッキングされたようです)。更に言えば、インターネットの繋がりによって、様々な思想が、地理的に離れた空間を行き来するようになりました。以前は遮断されていたり、あるいは知られてすらいなかった空間へも、カーンアカデミー(2006年にサルマン・カーンにより設立された教育系非営利団体。YouTubeで短時間の講座を配信し、運営サイトにて練習問題や教育者向けのツールを無料提供している)を通して教育用の動画が配信されています。白人系の差別主義者からは一連のスレッドとなった議論が流通し、ISIL募集者からは人々を魅了する募集広告が配信されています。

 

ISILのオンライン募集作戦に対抗するため、米国政府は行動を開始しました。デジタル部門を設立して分析を進め、四面楚歌にあるISILが今仕掛けてくる情報発信に様々な形で対応し始めました。FBI、NSA、そしてサイバーコマンドなどが、秘密裏に活動を続けています。こうしたことはつまり、米国が公的に新しい一歩を踏み出して、インターネットの世界における新しい局面に取り組み、戦っていることを示す事例となっています。

 

以上のようなことを受けて、ファラ・パンデイス前合衆国議員は、若い人々に極端なグループが遡及してゆくことを止めるところまで、私たちが大きく意識を変えなければならない、と、次のように語っています

 

「おれたち」と「連中」という議論の枠組みがある。その枠組みの中で、ISIL、アルカイダ、ボコ・ハラム、その他、といった組織は、オンラインであれオフラインであれ、非常に重厚でスマートなマーケティングをしている。そのマーケティングがターゲットにしているのはデジタル・ネイティブの人々であり、アイデンティティの危機を共有している人々で、Sheikh Googleからの呼びかけに答えて先へ進もうとする人々だ。この人々を守らねばならない。そのためには、地球の向こう側まで届く確かな声を活用して、同志を募るネットワークを機能させ、地球を縦横につなぐ組織とを構築しなければならないのだ。サウジアラビヤやカタールでは、宗教的な教育とグローバルに展開している公的圧力がある。そこに真剣に注目し、イスラムの多様性について(他の宗教については語るまでもない)不寛容になるようにと組織的に洗脳するこの動きを止めなければならない。これが、鍵だ。活発なミレニアル世代(1980年代半ばから2003年の間に生まれた世代)を動員することが重要だ。そのために、その世代の声を拾い上げなければならない。その仲間同士の思いが邂逅することで化学変化を引き起こし、新しい方途を拓かなければならない。

 

アメリカ人は長い間、理念をめぐる闘いに、そのソフトパワーを動員してきました。国の草創期にはベンジャミン・フランクリンがフランスへの使者として派遣されました。ディジー・ガレスピー、ベニー・グッドマン、その他ユニークなアメリカのジャズ音楽が、中東へ、南ヨーロッパへ、そして冷戦期のソ連へと、動員されました。その冷戦の時期に、ケネデイ―大統領は「ピースコルプス(平和部隊:米国政府が運営するボランティア部隊で、隊員は開発途上国へ派遣される)」を創設しました。彼は外国での開発事業がアメリカの若者を結集させる力を持っていることを知っていたからです。

 

私自身、交換留学制度のお世話になり、ピースコルプスをめぐって、重要な経験を重ねてきました。

 

たとえば、30年前のことです。ミシガン選出の国会議員フィリップ・ルペ氏が私と私の家族をワシントンの彼の家に招待してくれました。奥様のローレイ・ミラー・ルぺ夫人はレーガン大統領の下、ピースコルプスのデイレクターでした。夕食を食べながらルぺ夫人は、第二次世界大戦後のアメリカの海外政策(私は非常に成功したと思っていたのですが)について、私に尋ねました。私はまず2つのことを話しました。つまり、マーシャルプランと日本への占領政策についてです。そしてそれに続けて、3つ目に「ピースコルプスです」と言った時、彼女は不意を突かれた様子で、私に「あら、ちょっとした外交官みたいね」と言ったのです。でも私は、「いえ、私は以前からピースコルプスに加わりたかったのです。でも私はアメリカ人でないため、できなかったのでした。でもその代わり、私は国際学生協会の積極的メンバーになったのです」と答えたのです。

 

また私は、1964年に多くの東南アジアの国々を訪問するという素晴らしい機会に恵まれ、ベトナム戦争が拡大する前にサイゴン大学を含む大学生寮に泊まることができました。多くの若者、未来のべトナムのリーダー達は、アメリカの政策とベトナム戦争に反対でしたが、彼らはピースコルプスの仲間達との素晴らしい友情を育んでいました。

 

ピースコルプスの使命は「世界平和と友情を推進する事」です。そのために、「3つの目標」が設定されています。それは「訓練されたボランティアによってその要請に応え、関係各国の人々を助けること。」「支援される人々の側が米国人について、よい理解を得るようにすること。」「米国人の側が他国の人々について、よい理解を得るようにすること」の三つでした。

 

米国の人々は様々な世代から構成されるピースコルプスのボランティアを充分に評価していたわけではありませんでした。私は長い間、国際関係の仕事に深く関係してきました。私はそうした働きを、自動車に例えて、次のように説明しています。「政府間を繋げることが、国際関係という車を動かすガソリンの供給に例えられる。そして、私的で個人的なつながりを作り出すことが、エンジンを滑らかにし、すべてを円滑に進めることが出来るようになる」(詳しくは「アメリカは出帆する:平和と希望を目指し、境界を越えて」を参照ください)。

 

イーロン・マスク(テスラ・モターズCEO)やグーグルといった人や組織が、今日の自動車をリノベーションしています。まさにそのように、次の大統領は、政府間、国民間、その他の領域間でのデジタルなつながりをリノベーションするために行動を起こさなければなりません。私は、次期大統領に、「ユース・コルプス」を提案したいと思います。まず最初の100日以内に30名の若者をホワイトハウスに招待し「デジタルに基礎づけられた国づくり」を開始するのです。若い米国人の声をネットワークするのです。そうして、次々と新しく湧き上がるIT技術の先を行き、「ピース・コルプス」「アメリコー(米国海外青年協力隊)」そして新しく設立された米国情報省の蓄積に学びつつ、米国の若者たちを再び結集させるのです。

 

オバマ大統領は彼の2期目の一般教書演説において、「私たちの国は、ある一つの理念に基づいて建設された最初の国家である。その理念とは、我々一人一人が、自分自身の天命を形にできる一人一人だ、というものだ。」と言いました。大統領は次のことを強調したかったのです。つまり、「このアメリカを、国家として発展させるように、私たちは招かれている」と。「このアメリカの理念(アメリカン・ドリーム)を持続することは、決して容易なことではなかった。それぞれの世代は、この理念のために、犠牲と苦闘を強いられ、そして、新しい時代の要求に応えてきたのだ」とオバマ大統領は語ったのです。

 

明らかにこの時代、理念を伝える伝送路はインターネットです。ですから、インターネットをきちんと理解する方向へと進むことが、私たちに、自分自身の天命を具現化するためのへ力を与えることとなるのです。