フクシマの教訓――将来への新たな懸念

松村昭雄

2011年3月11日に、福島第一原子力発電所で起きた史上最悪の事故から5年目をむかえる今週は、世界中の人々が哀悼の意を捧げます。

2015年2月17日 雪に覆われた仮設住宅で見かけた女性。立ち入り禁止区域となった福島県大熊町からの避難者が暮らす会津若松市の仮設住宅にて REUTERS/Toru Hanai  
2015年2月17日 雪に覆われた仮設住宅で見かけた女性。立ち入り禁止区域となった福島県大熊町からの避難者が暮らす会津若松市の仮設住宅にて
REUTERS/Toru Hanai  

事故に対するとらえ方は数多くあり、人と環境の安全を左右しつづけます。帰宅の見込みがたたない避難者はいまだ178,000人(そのうち99,750人が福島県民) です。そして400トンの汚染水が毎日海に流れ込んでいます。たびたび襲ってくる集中豪雨で事故現場の放射性物質が海へと流されるのです。814,782トンの汚染水は、1,000基のタンクに貯蔵されていますが、その数は毎月増えています。現場では毎日7,000人の作業員が危険な事故処理に取り組んでいます。こうした人々の献身的な働きで、これまでに多くの問題が解決されてきた一方で、数々の問題にも行き詰っています。 高線量のため、人が近づくことのできない原子炉1、2、3号機。少なくとも40年間、科学的解決策は期待できず、今後、崩壊することも考慮しておかなくてはなりません――40年で新たな大地震が起きる可能性はゼロではないのです。

福島第一原発の事故発生後、即座にさまざまな分野からの意見や助言が寄せられました。核科学者、医師、軍関係者、地震学者、生物学者、海洋学者、火山学者、ジャーナリスト、宗教指導者、国会議員、学生、草の根組織、世論指導者たちがいっせいに参入して、問題の全体像が水平に浮かび上がり、別のとらえ方が導き出されました。従事者がいかに専門分野に長けていようと、ひとつの分野だけでは限りがあります。彼らからのメッセージは、当時マスコミに広がっていた情報の混乱に切り込み、日本の人々への助けにもなりました。

福島第一原発事故から5年目に際し、この事故の初期段階を今いちど振り返って、痛ましいできごとから得た教訓をもとに、私自身の見解を述べたいと思います。

地震発生から2週間、国も専門家も一様に、技術的解決策を模索しました。打つ手がほとんどないまま、パニックは増していきました。炉心溶融は起きたのか? 適切な避難距離は? システム障害が多発する中、どうやって原子炉の冷却システムを維持するのか? ベントは機能しているのか? チェルノブイリより悪い事態なのか? 自衛隊のヘリコプターは3、4号機の燃料プールに放水できるのか?

当時の指導者や国民を貫いたパニックを的確に言い表すのは不可能でしょう。日本政府と原発の事業者である東京電力は、過酷事故への備えが十分ではありませんでした。コミュニケーション不足と対応の遅れで、国民は政府と東電を責め、政府と東電はたがいに責任を押しつけ合いました。

混乱とパニックは日本だけにとどまらず、米国政府にも及びました。原子炉6基の損傷を評価するにあたって、日米政府間には相当な隔たりがありました。特に、事故当時たまたま定期点検中だった4号機について判断が分かれました。安全性と損傷に関するいろいろな言及が入り混じって、パニックを助長しました。日本政府は、避難指示は20キロ圏が妥当とし、一方で米国政府は、80キロ圏の避難指示を自国民に出しました。英、仏、独、その他の国々は、それぞれの国民に向けて、東京から出て200キロ以上離れるよう勧告しました。

当初から、少数の専門家は、この事故が現在の科学的解決策の域を超えた危機であること、なにか策を打ち出すには情報が不十分であることに気づいていました。初期の混乱状態にあった頃、私のよき友人であった故ハンス=ピーター・ドゥール博士――独のマックス・プランク天体物理学研究所元所長――から電話がありました。日本の首相に、福島の事態は日本政府が発表したものよりずっと深刻であることを伝えたほうがいい、と彼は言いました。そのとき、政府は炉心溶融を認知していませんでしたが、ハンス=ピーターは、科学知識の限界に私たちが追い込まれていることを知っていたのです。彼は、日本は解決策を見つけるために、一流の核科学者と建築工学技術者から成る独立評価チームを招いてはどうか、と提案しました。私は、その緊急メッセージを首相官邸と党首たちに送りました。

問題の範囲はどれくらいなのか? 事故から一年経っても、私たちは量的な感覚をつかめずにいました。感覚をつかみ始めたきっかけは、使用済み燃料の数がわかったときでした。東電はこの情報を明らかにしていませんでした。そこで私は、村田光平大使にお願いして、内部に通じた人たちへ個別に確認してもらいました。大使からの情報によると、福島第一原発の使用済み燃料の合計本数は、圧力容器内のものを除いて、11,421本ということでした。私は次に、ロバート・アルバレス――米エネルギー省長官上級政策アドバイザー、国家安全保障と環境担当副次官補を歴任――に、11,421本の使用済み燃料が与え得る影響について説明を求めました。

2012年4月3日、ボブ(Robert の愛称)はその数字が意味するところを解説してくれました。結果は驚愕するものでした。事故現場のセシウム‐137の量はチェルノブイリ原発事故の85倍だったのです。

核爆弾のように「ドカーン」と轟くわけではありませんが、放射性物質の量がこれほどとなれば、莫大な破壊的潜在力があります。人々はショックを受けました。記事はたちまち百万人以上に読まれ、インターネットを通じてどんどん広がっていきました。海外の科学者たちが、4号機に潜んでいた世界的大災害の可能性を警告しなかったら、日本政府が1,535本の使用済み燃料の取り出し作業を優先することはなかったでしょう。それは、広島に投下された原子爆弾の14,000倍という放射能を含んでいました。

さまざまな分野の専門家からの意見がなかったら、重要な情報は国民に知らされることなく、政府と電力会社内にとどまっていたことでしょう。

しかし、この情報を得ても、技術面にばかり注目したままでは、危機の大局と原因は見えてきません。国会事故調査委員長だった黒川清氏は、異なった、しかし明確な見方をしています。

2011年3月11日に起きた地震と津波は、世界中を揺るがす規模の自然災害であった。大災害が引き金となってはいるが、その後の福島第一原発で起きた事故は、自然災害と見なすことはできない。きわめて人為的な災害――予測と防止は可能であり、すべきであった――である。もっと効果的な対応をしていれば、事故の影響を軽減できたかもしれない。

こんな事故が日本で、優れた工学と技術への世界的評価を誇りとする国で、どうして起きたのか? 国会事故調査委員会は、日本国民、ならびに国際社会は、この問いへの十分かつ率直、そして透明性のある答えを得る権利があると考えている。認めるべきは――非常につらいことではあるが――これが「メイド・イン・ジャパン」の災害だということだ。

その根本的な原因は、日本文化に深く根づく慣習に見いだせる。つまり、私たちの反射的な従順さ、権威に対して疑問を呈することへの躊躇、「プログラム通り続行」への献身、集団主義、島国根性である。

私の場合、自分たちが新たな脅威とともに生きていること、また何十年間も脅威とともに生きてきた、ということをフクシマに教えられました。原発事故は、何世紀にもわたって、想像を超えるような影響を人間の生活に与え得ることがわかりました。今回の事故は、原発によって生活を破壊された人々に重大な害をもたらしました。もし、このまま事態が悪化したら、24,000年間の環境への害は将来世代にどんな影響を及ぼすのでしょうか?

仮に、原発が建設されたとき、国民がこれらのリスクに気づき、受け入れていたとしたらどうでしょう。残念ながら、日本ではそうなりませんでした。原発を建設する側も、リスクを受け入れていませんでした。建設当時や事故当時も。今現在でさえも。

東京電力は、事故から5年経ってようやく、「炉心溶融」という言葉の使用が2ヶ月遅かったことを認めました。エネルギー・コンサルティング会社のフェアウィンズ・アソシエーツのアーニー・ガンダーセンと、『世界の原子力産業現状報告』を書いたマイケル・シュナイダーは、蒸気が大量発生していた時点で炉心溶融が起きていることは明白だったと指摘しています。しかし、東電の否定が、パニックへの対処に影響を与えました。ヘレン・カルディコット博士が提言したように、日本政府は女性や子供たちをできるだけ早く、遠くに避難させるべきだったのです。ヘレンは私たちのブログのために、放射能汚染下における日本への14の提言を書き送ってくれました。東電と政府当局は、たくさんの専門家からの警告を無視し、警鐘に耳を貸そうとしませんでした。

5年間考察してきて、フクシマが私に示したのは、原発への新たな懸念でした。 そして重要な知見を得ました。人命に関わるリスクという点で、核爆弾による放射能と原発事故によるそれとで、ほとんど差異はないことを私たちは理解していませんでした。核攻撃の危険性に対する身構えはありましたし、今では、原発における人的ミスや、地震、津波、火山噴火といった自然災害の脅威も理解しています。でも、原発への攻撃についてはどうでしょうか? とりわけ心配なのは、パキスタンのように不安定な国々にある原発へのテロ攻撃です。

パキスタンでの原発建設に合意し、握手を交わすナワーズ・シャリーフパキスタン首相と習近平中国国家主席
パキスタンでの原発建設に合意し、握手を交わすナワーズ・シャリーフパキスタン首相と習近平中国国家主席

世界中にたくさんある原子力発電所のひとつ、あるいはそれ以上をテロリストが標的にする可能性は高く、しかも増しています。原発のみならず、狙われやすい他の施設も脅威に対して脆弱なままです。さらに、そうした脅威に関する情報は、政府間でなかなか共有されることがありません。米国は、同盟国日本に対して、ある特定の脅威への警告をしたくてもできなかったのです! スーツケースサイズの小型核爆弾がタイムズスクエアで爆発する、というような脅威には、専門家も大統領も悩まされつづけています。今後こうしたリスクが現実になる可能性を考えると、民主主義社会であろうが、権威主義社会であろうが、国民がなにも知らされていないのは驚くべきことです。フクシマで目にしたように、リスクが手遅れになるまで隠されつづけ、そのリスクとともに生きることを求められていた、と気づかされたときの痛みはあまりに大きいものです。

専門家たちは、リスクの解決策を明確にして検証し、助言を与えるでしょうし、またすべきです。中国やインド、アラブ首長国連邦、ベトナム、インドネシアといった国々で、原発が次々に建設され、計画されている中、その責任は増しています。しかし、国民との開かれた対話があってこそ、攻撃や事故を防ぎ、いったんそれらが起きてしまった場合に適切な対応ができるのです。ソーシャルメディアは、そういうときに多分野からの専門家と社会とをつなぐかけ橋として力を発揮してくれます。まさに、核災害防止のために尽力する組織の活動を補う強力なツールになるでしょう。情報を管理できないのは、どんな権力者にとっても受け入れがたいことです。でも、フクシマやエボラの流行のようなケースに、トップダウン型の伝達経路では限界があることを見せつけられました。

政治家は、社会をリードする仕事の中で、いくつもの相反する課題や利害に直面します。原子力エネルギーは、例えば気候変動という課題にうまく合致するかように見えます。しかし、問題解決にともなうリスクが、国民を含むすべての利害関係者にはっきりと提示されていないならば、正確で公正な評価がなされていると見なすことはできません。フクシマは、無炭素エネルギー、安全、健全な環境、人間の安全保障、将来世代のための保全といった、人々のニーズが交差するときに直面する課題について、幅広く議論する契機となりました。これらの問題は、この先何世紀もかけて、私たちの人間社会を定義づけていくでしょう。ですから、あらゆる事実を提示して、議論する機会を逃してはなりません。

 

別記

英国の優れた核物理学者ブライアン・フラワーズ卿は指摘しました。もし、第二次世界大戦前の欧州に原子力発電所が建てられていたら、今ごろ欧州の大部分は居住不能になっていただろう。 戦争と破壊は、これらの施設を攻撃対象にしただろうから、と。

 

<日本語訳 野村初美>

One Reply to “フクシマの教訓――将来への新たな懸念”

  1. 先刻のメールに対するご返信を用意しつつのことですが、取り急ぎ、本論を拝読して痛感することがあり、先駆けてご返信します。末尾の「別記」に格別の関心と危惧を抱きます。第三次世界大戦の云々が囁かれる現代にあっては不気味そのものですね。では、後ほどに・・・。

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