小説『 The Sanctity of Remembering

松村昭雄様

なぜ、私はこの小説を書いたのか?

 

Victims of the Nuclear Arms Race
Victims of the Nuclear Arms Race

小説『 The Sanctity of Remembering  』は、ナガサキとヒロシマの記憶をよみがえらせ、原子爆弾の使用にまつわる、相も変らない通説や誤認が重ねてきた現代史を洗い清めようと執筆しました。アメリカの人々の考えを一つずつ変えていきながら、この小説も形を成し、目的が定まって行きました。以前は耳にしなかった意見が、フィクションの世界で生み出される。真実を伝達するに最善の方法です。詩趣に富んだ散文からはどれも、非道な仕打ちや思いもよらない不幸からわき上がる切々たる響きが聞こえてきます。私も課せられた仕事にひたすら取り組み、書き、推敲し、助けが得られるその時まで続けていれば、その響きが聞こえてくるのだろう、と悟ったのです。私がこの小説を書いた理由はこうです。神の加護のもとにある一つの国家が、自由という理念によって打ち立てられたのであれば、その国家は永らえるだろう。そして、同じ神のもとにある一つの世界は、真に互いを理解しあうようになるだろう。このように考えたからでした。私が描いた登場人物たちは、この地球が抱えるあらゆることに、自分たちが知り得るかぎりの手段で立ち向かうことを余儀なくされています。すべてが一新されるまで、彼らは向き合い続けます。小説だけでしか信念を伝えられないのは残念ですが、作品としてはよいものに仕上がっています。そして、被爆69周年に際して、この本が完成しましたことを嬉しく思っております。私は、米陸軍兵士だった十代の頃、原爆によって四回被爆しました。従って、この作品は、原爆によって放射性降下物が生じるように、私の経験から生まれた副産物です。そして私は、国境を越えて真理を探究する者の立場に降り立ったのです。

 

ジョン・マッケイブ

 

The Sanctity of Remembering

ジョン・A・マッケイブ著*

二つの全く異なるストーリーがそれぞれに展開され、読者は、一体これらがどうやって交わるのか、と心待ちにせずにはいられない。広島の原爆投下で孤児となった、若い日本人女性レイコは、アメリカ人の修道女に育てられた。英語を身につけたおかげで、彼女は、1962年、アメリカ人の作家の秘書兼翻訳者の職に就くことができた。この作家は、もとはカトリック教会の司教であった。そして、長崎原爆の被爆者でもあった。

主人公のマクグラスは、典型的なアメリカ人の若者。親友のスポッツ・ダニエルズと共に陸軍に入隊する。1962年の夏、二人は疑念を抱くこともなく、砂漠への行軍に参加する。そこで、四回にわたる核爆弾の爆発で被爆する。この核爆発は、アメリカ政府による実験で、核兵器が使用される戦場での歩兵の状態を見定めることを目的としていた。核実験場での体験は、二人を生涯にわたって、肉体的、精神的にじわじわと苦しめ続けることになる。友達のダニエルズはついに白血病に侵される。彼は亡くなる前に自分たちの被爆と日本人の被爆とを比較し、学を深める。そして、レイコの雇い主である元司教と手紙を交わすようになった。

砂漠で真実があらわになったあの瞬間から、十六年の歳月が流れ、マクグラスは自分が目にした光景を明かし、「被爆者」とのつながりを感じていることを吐露し始めた。彼が仕事で日本へ出張した時のことだ。ダニエルズの妻が日本のマスコミに、彼が未解決の核問題と米政府に関する任務を帯びて来日したのだと、洩らしてしまう。おかげで、マクグラスの行く先々に、熱心な記者がずっと付いてまわることになる。マクグラスは、長崎に彼のガイド兼通訳として同行したレイコと知り合いになる。長崎市街を見て回り、ダニエルズの文通相手だった司教のロックス とも出会う。

マクグラスがロックスとレイコと共に純一な気持ちで始めた研究は、予期せぬ政治的関心を呼び起こすこととなる。戦時中の日本人の心にあったアメリカ人への嫌悪は衰えていなかったのだ。マクグラスは、狂信的行動に走る者に誘拐され、外部との連絡を遮断されたまま何週間も監禁される。一方で彼らはレイコを脅迫し、米政府に謝罪を要求させようとする。マクグラスを、プロパガンダを目的として日本へやってきたと思い込んでいたのだ。長崎で解放された時、マクグラスの人格は変わっていた。とてつもない災禍を目の当たりにし、出会った人、訪れた地に聖性を垣間見た彼が、どこかおかしくなってしまったように人は思った。

劇的場面は、元司教のロックスと最後に会うところである。その時マクグラスは、驚くほど、高潔さと健全な心をすっかりあらわにして見せる。二人だけが知る事実が明かされる。1945年8月9日、二人は不思議な体験をした。あり得ないことなのだが、マクグラスもロックスも、自分たちの体験が本物であることを知っている。そして、二人は、他人には非論理的にしか聞こえないような会話を交わしながら、追想していくのだった。

マクグラスは、妻と四人の友人を連れて、再び長崎と広島を訪れる。レイコと記者のナツメが案内役だ。レイコのおじのシロウは僧侶で、彼もまた被爆者だった。シロウは、マクグラスの一行に、危険が潜んでいることを忠告する。そしてそれは、予想だにしないタイミングで現実となる。東京に戻る途中、マクグラスらが乗るワゴン車にトラックがあからさまに追突してきたのだ。搬送された病院で、マクグラスは、かつて自分を誘拐した人物と出くわす。彼は誰が自分の敵なのか分からなくなり、混乱する。自身の被爆体験が、中国のスパイグループを刺激していたことを知るのだ。この諜報団は、米国原子力委員会との内密の取引が、マスコミに次第に大きく報道されることを恐れていた。新たな危機に、マクグラスは日本に滞在中、ずっと脅かされる。レイコとロックスもまた標的となり、安全のため国外へ移住する。マクグラスとナツメには、意外な筋からの保護がもたらされた。やっとのことで、無事帰国を果たしたマクグラスだが、生活はすさむ。だが様々な体験をしたことで、不思議と充実もしていた。真相が明らかになっていく中、マクグラスがおそろしい塵、そこに含まれるウラン、人が作り変えた死の放射体と直面する場面は圧巻だ。生きとし生けるものに投げかけられる善と悪の選択という途方もない難問から、マクグラスの思考はある言葉へとつながって行く。「暗闇の記憶はいつまでも続かない。いつかは忘れ去るものだから」そして、マクグラスは、まるで荒地を立ち去る者のように、突如、平凡な日常へと回帰していく。人類に授けられた新たな現実を待ち望む者の一人として。

*『The Sanctity of Remembering 』のあらすじについては、以下からのまとめです。

グウィネッド=マーシー大学名誉教授アン・K・ケイラーによる書評

Phang University of Science and Technology客員教授ジョシュア・A・スナイダーによる論文『American Hibakusha

作者ジョン・マッケイブ自身による書評

THE SANCTITY OF REMEMBRANCE』刊行にあたって

日本の二つの街への原爆投下と、その後も続く核実験を伴う軍備拡大競争は、長らく道義性を問われてきました。1945年9月、ジェームズ・ギリスという学者が次のように書いています。ギリスは神父であり、『The Catholic World』の編集者でもありました。「我々は…文明と道徳律に対して、かつてないほどの強烈な打撃を与えた」。作家のトマス・マートンは、「言語に絶する」と述べました。平和を唱えた神学者ジェームズ・ダグラスが称した「冷戦の理論体系」は、『 The Sanctity of Remembering』にある通り、大気圏内の核実験を可能ならしめました。周知されていない最新の歴史説明を追いつつ、原爆の使用にまつわる通説と誤認を洞察し、物語の中に映し出しています。1945年8月以前に、日本への侵攻は中止されていたのか?そしてその情報を隠ぺいしたのは誰か?ソ連軍の猛攻撃と米軍による海上封鎖の奏功が、日本を終戦へと向かわせたのか?マンハッタン計画から現在に至るまで、アメリカの核に関連した官僚機構は、過剰な資金が投入された上に、制御不能な状態であったのか?今日の国家安全保障局にその恐れがあるように。

ジョン・A・マッケイブの小説は、道徳的観念に基づいた作品であり、安易な教訓は排しています。しかし、人間社会が経てきた歴史と統治についての記録が正当なものなのか、根本的な問いへと読者を誘い込むのは、むしろ、スパイ小説並みのスリルでぐいぐい迫る筆致と、異彩を放つ登場人物たちです。おそらくこれまで日本で聞かれることのなかった一人のアメリカ人の声が、ナガサキとヒロシマの事実をもう一度語ろうとしたことで、真に迫る文芸小説となりました。新たな視点が生み出され、アメリカ人被爆者は、キノコ雲の記憶をまさに呼び戻し、高らかに語るのです。

二つのストーリーに登場する人物たちのどちらにも共感し、双方は並び立っています。レイコと僧侶である彼女のおじは、日本画の筆遣いのように繊細な描写で、マクグラスと彼のアメリカ人の仲間たちは、その時代のテクニカラー映画のように鮮やかな色彩で描かれています。実に、織り合わされた二つのストーリーは、別々の小説のように読むことができます。一方は、川端康成や大江健三郎、遠藤周作らの作品を彷彿させ、片方は、エリア・カザンの映画を想起させます。しかし、登場人物らの持ち味にとどまらず、さらに興味深いのは、レイコとマクグラスの中に、真理の悟りが火花のように生じる部分です。この神聖な火花は、それぞれの内で燃え続け、やがて、核兵器に対する各々の答えが油のように注がれ、次第に燃えさかる炎となっていくのです。

ジョン・A・マッケイブ

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Feasterville, PA 19053

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