Category Archives: Translations

Introduction de l’Alliance pour l’action en cas d’urgence nucléaire : Premières étapes après une catastrophe nucléaire

Akio Matsumura

À l’occasion du 5è anniversaire de l’accident nucléaire de Fukushima, j’ai écrit un article intitulé « Les leçons de Fukushima : nouvelles inquiétudes pour l’avenir. » J’ai eu le grand plaisir de recevoir beaucoup de réactions positives d’amis et d’autres lecteurs.

Nombre de lecteurs ont aussi exprimé leur frustration devant le fait que beaucoup de problèmes non résolus se poursuivent : 400 tonnes d’eau contaminée de… Continue reading

Presentación de la Alianza de Acción de Emergencia: Tomando los primeros pasos después de un desastre nuclear

Akio Matsumura

Con motivo del 5º año del accidente nuclear de Fukushima, escribí un artículo titulado “Nuestros Lecciones de Fukushima: Nuevas preocupaciones para el futuro” Fue un placer recibir tantas respuestas positivas de amigos y otros lectores.

Muchos lectores también indicaron sus frustraciones con la realidad de que existen aún muchas cuestiones sin resolver como: 400 toneladas de agua contaminada de la planta de Fukushima que son vertidas… Continue reading

フクシマの教訓――将来への新たな懸念

松村昭雄

2011年3月11日に、福島第一原子力発電所で起きた史上最悪の事故から5年目をむかえる今週は、世界中の人々が哀悼の意を捧げます。

2015年2月17日 雪に覆われた仮設住宅で見かけた女性。立ち入り禁止区域となった福島県大熊町からの避難者が暮らす会津若松市の仮設住宅にて REUTERS/Toru Hanai  

2015年2月17日 雪に覆われた仮設住宅で見かけた女性。立ち入り禁止区域となった福島県大熊町からの避難者が暮らす会津若松市の仮設住宅にてREUTERS/Toru Hanai  

事故に対するとらえ方は数多くあり、人と環境の安全を左右しつづけます。帰宅の見込みがたたない避難者はいまだ178,000人(そのうち99,750人が福島県民) です。そして400トンの汚染水が毎日海に流れ込んでいます。たびたび襲ってくる集中豪雨で事故現場の放射性物質が海へと流されるのです。814,782トンの汚染水は、1,000基のタンクに貯蔵されていますが、その数は毎月増えています。現場では毎日7,000人の作業員が危険な事故処理に取り組んでいます。こうした人々の献身的な働きで、これまでに多くの問題が解決されてきた一方で、数々の問題にも行き詰っています。 高線量のため、人が近づくことのできない原子炉1、2、3号機。少なくとも40年間、科学的解決策は期待できず、今後、崩壊することも考慮しておかなくてはなりません――40年で新たな大地震が起きる可能性はゼロではないのです。

福島第一原発の事故発生後、即座にさまざまな分野からの意見や助言が寄せられました。核科学者、医師、軍関係者、地震学者、生物学者、海洋学者、火山学者、ジャーナリスト、宗教指導者、国会議員、学生、草の根組織、世論指導者たちがいっせいに参入して、問題の全体像が水平に浮かび上がり、別のとらえ方が導き出されました。従事者がいかに専門分野に長けていようと、ひとつの分野だけでは限りがあります。彼らからのメッセージは、当時マスコミに広がっていた情報の混乱に切り込み、日本の人々への助けにもなりました。

福島第一原発事故から5年目に際し、この事故の初期段階を今いちど振り返って、痛ましいできごとから得た教訓をもとに、私自身の見解を述べたいと思います。

地震発生から2週間、国も専門家も一様に、技術的解決策を模索しました。打つ手がほとんどないまま、パニックは増していきました。炉心溶融は起きたのか? 適切な避難距離は? システム障害が多発する中、どうやって原子炉の冷却システムを維持するのか? ベントは機能しているのか? チェルノブイリより悪い事態なのか? 自衛隊のヘリコプターは3、4号機の燃料プールに放水できるのか?

当時の指導者や国民を貫いたパニックを的確に言い表すのは不可能でしょう。日本政府と原発の事業者である東京電力は、過酷事故への備えが十分ではありませんでした。コミュニケーション不足と対応の遅れで、国民は政府と東電を責め、政府と東電はたがいに責任を押しつけ合いました。

混乱とパニックは日本だけにとどまらず、米国政府にも及びました。原子炉6基の損傷を評価するにあたって、日米政府間には相当な隔たりがありました。特に、事故当時たまたま定期点検中だった4号機について判断が分かれました。安全性と損傷に関するいろいろな言及が入り混じって、パニックを助長しました。日本政府は、避難指示は20キロ圏が妥当とし、一方で米国政府は、80キロ圏の避難指示を自国民に出しました。英、仏、独、その他の国々は、それぞれの国民に向けて、東京から出て200キロ以上離れるよう勧告しました。

当初から、少数の専門家は、この事故が現在の科学的解決策の域を超えた危機であること、なにか策を打ち出すには情報が不十分であることに気づいていました。初期の混乱状態にあった頃、私のよき友人であった故ハンス=ピーター・ドゥール博士――独のマックス・プランク天体物理学研究所元所長――から電話がありました。日本の首相に、福島の事態は日本政府が発表したものよりずっと深刻であることを伝えたほうがいい、と彼は言いました。そのとき、政府は炉心溶融を認知していませんでしたが、ハンス=ピーターは、科学知識の限界に私たちが追い込まれていることを知っていたのです。彼は、日本は解決策を見つけるために、一流の核科学者と建築工学技術者から成る独立評価チームを招いてはどうか、と提案しました。私は、その緊急メッセージを首相官邸と党首たちに送りました。

問題の範囲はどれくらいなのか? 事故から一年経っても、私たちは量的な感覚をつかめずにいました。感覚をつかみ始めたきっかけは、使用済み燃料の数がわかったときでした。東電はこの情報を明らかにしていませんでした。そこで私は、村田光平大使にお願いして、内部に通じた人たちへ個別に確認してもらいました。大使からの情報によると、福島第一原発の使用済み燃料の合計本数は、圧力容器内のものを除いて、11,421本ということでした。私は次に、ロバート・アルバレス――米エネルギー省長官上級政策アドバイザー、国家安全保障と環境担当副次官補を歴任――に、11,421本の使用済み燃料が与え得る影響について説明を求めました。

2012年4月3日、ボブ(Robert の愛称)はその数字が意味するところを解説してくれました。結果は驚愕するものでした。事故現場のセシウム‐137の量はチェルノブイリ原発事故の85倍だったのです。

核爆弾のように「ドカーン」と轟くわけではありませんが、放射性物質の量がこれほどとなれば、莫大な破壊的潜在力があります。人々はショックを受けました。記事はたちまち百万人以上に読まれ、インターネットを通じてどんどん広がっていきました。海外の科学者たちが、4号機に潜んでいた世界的大災害の可能性を警告しなかったら、日本政府が1,535本の使用済み燃料の取り出し作業を優先することはなかったでしょう。それは、広島に投下された原子爆弾の14,000倍という放射能を含んでいました。

さまざまな分野の専門家からの意見がなかったら、重要な情報は国民に知らされることなく、政府と電力会社内にとどまっていたことでしょう。

しかし、この情報を得ても、技術面にばかり注目したままでは、危機の大局と原因は見えてきません。国会事故調査委員長だった黒川清氏は、異なった、しかし明確な見方をしています。

2011年3月11日に起きた地震と津波は、世界中を揺るがす規模の自然災害であった。大災害が引き金となってはいるが、その後の福島第一原発で起きた事故は、自然災害と見なすことはできない。きわめて人為的な災害――予測と防止は可能であり、すべきであった――である。もっと効果的な対応をしていれば、事故の影響を軽減できたかもしれない。

こんな事故が日本で、優れた工学と技術への世界的評価を誇りとする国で、どうして起きたのか? 国会事故調査委員会は、日本国民、ならびに国際社会は、この問いへの十分かつ率直、そして透明性のある答えを得る権利があると考えている。認めるべきは――非常につらいことではあるが――これが「メイド・イン・ジャパン」の災害だということだ。

その根本的な原因は、日本文化に深く根づく慣習に見いだせる。つまり、私たちの反射的な従順さ、権威に対して疑問を呈することへの躊躇、「プログラム通り続行」への献身、集団主義、島国根性である。

私の場合、自分たちが新たな脅威とともに生きていること、また何十年間も脅威とともに生きてきた、ということをフクシマに教えられました。原発事故は、何世紀にもわたって、想像を超えるような影響を人間の生活に与え得ることがわかりました。今回の事故は、原発によって生活を破壊された人々に重大な害をもたらしました。もし、このまま事態が悪化したら、24,000年間の環境への害は将来世代にどんな影響を及ぼすのでしょうか?

仮に、原発が建設されたとき、国民がこれらのリスクに気づき、受け入れていたとしたらどうでしょう。残念ながら、日本ではそうなりませんでした。原発を建設する側も、リスクを受け入れていませんでした。建設当時や事故当時も。今現在でさえも。

東京電力は、事故から5年経ってようやく、「炉心溶融」という言葉の使用が2ヶ月遅かったことを認めました。エネルギー・コンサルティング会社のフェアウィンズ・アソシエーツのアーニー・ガンダーセンと、『世界の原子力産業現状報告』を書いたマイケル・シュナイダーは、蒸気が大量発生していた時点で炉心溶融が起きていることは明白だったと指摘しています。しかし、東電の否定が、パニックへの対処に影響を与えました。ヘレン・カルディコット博士が提言したように、日本政府は女性や子供たちをできるだけ早く、遠くに避難させるべきだったのです。ヘレンは私たちのブログのために、放射能汚染下における日本への14の提言を書き送ってくれました。東電と政府当局は、たくさんの専門家からの警告を無視し、警鐘に耳を貸そうとしませんでした。

5年間考察してきて、フクシマが私に示したのは、原発への新たな懸念でした。 そして重要な知見を得ました。人命に関わるリスクという点で、核爆弾による放射能と原発事故によるそれとで、ほとんど差異はないことを私たちは理解していませんでした。核攻撃の危険性に対する身構えはありましたし、今では、原発における人的ミスや、地震、津波、火山噴火といった自然災害の脅威も理解しています。でも、原発への攻撃についてはどうでしょうか? とりわけ心配なのは、パキスタンのように不安定な国々にある原発へのテロ攻撃です。

[caption id=”attachment_2208″… Continue reading

二万年を永らえる毒性―核の安全とはるかな未来への道のり

松村昭雄

ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で史上最悪の事故が起きてから25年が経ったが、原発事故によって、最終的にどんな健康被害がもたらされるのかは、いまだはっきりしていない。この情報の空白を埋めていくには、研究プログラムを活性化していく必要がある。すなわち、あらたな原発事故への準備態勢を強化することと、低線量被ばくの長期的影響について理解を高めることである。(New York Times Editorial, May 9)

チェルノブイリ原子力発電所の爆発事故による火災で、放射能は旧ソ連西部や欧州へと広がりました。放出された放射性物質は、広島に投下された原子爆弾の400倍ということです。事故の調査と処理にあたった派遣団を取り仕切ったのは、私の古い友人で、旧ソ連最高の原子核科学者エフゲニ―・ベリホフ博士でした。

1988年に開催されたオックスフォード・グローバル・フォーラムで、ベリコフ博士は、自身が直接たずさわった調査について述べ、事故の規模がいかほどであったかを参加者に印象づけました。同フォーラムでは、米国の高名な科学者カール・セーガンが、米ソ両国に対し、核兵器の削減を訴え、インドとパキスタンの参加者に対しては、なぜ印パはひそかに核兵器を製造するのか、と踏み込んだ質問をしました。印パの外交官はともに、核兵器計画について否定し、エネルギー生産という平和目的のために原子力発電所を建設しているという公式説明を押し通しました。

それから10年後の1998年5月11日、インド政府は、ラージャスターン州ポカランで核実験を3回行ったと表明しました。同月28日、今度はパキスタン政府が5回の核実験実施を公表しました。印パの行為で、アフガニスタン―パキスタン―インド一帯の地政学的均衡はぐらつきました。これが、国際的に重要な意味を持つことは、今日の紛争や勢力争いを見れば、明らかです。しかし、この一帯も、物騒な地域のほんの一部分でしかありません。隣国のイランには、世界が警戒の目を光らせています。イランの核開発計画は、中東諸国の長期にわたる暴力闘争に揺さぶりをかけかねません。総じて、核問題と、それに関連するテロリスト問題は、国際安全保障の議題において最重要事項です。先週、オサマ・ビン・ラディンが死亡し、米国人は喝采しましたが、ビン・ラディンの死で、アルカイダとその他のテロリストたちのネットワークが終結したわけでないことはわかっています。核拡散を軸に展開する勢力の均衡状態は、まだ続くのです。巨大かつ多様な結果を招くおそれのある核問題。その発端は、常に原子力発電所の建設です。

ハンス=ピーター・ドゥールと松村――クラウス・ビゲルトの自宅で

ハンス=ピーター・ドゥールと松村――クラウス・ビゲルトの自宅で

2007年1月、私は友人のハンス=ピーター・ドゥール博士とクラウス・ビゲルト氏に会うため、ミュンヘンへと旅立ちました。ハンス=ピーターは、世界で最も尊敬されている原子力物理学者のひとりで、ドイツの一流研究機関である、マックス・プランク天体物理学研究所の元所長、クラウスは、 非核未来賞の理事長です。私たちは、ハンス=ピーターが猛反対する原子力エネルギーについて何時間も話し合いました。私は、自分が知る著明な環境科学者の見解を述べました。その科学者は、二酸化炭素排出量の少ない原子力エネルギーを支持している人でした。ハンス=ピーターはとても熱心で寛大な人物でしたから、原子力エネルギーが抱える無数の技術的問題を真剣に解説してくれました。ところが、その方面に知識の乏しかった私は、彼の言わんとすることがつかめなかったのです。原発は、人為ミスと自然災害に備えて何重にも安全策がとられている、という前提に基づいて、私はその環境科学者の意見と地球を擁護したのです。私は、ハンス=ピーターが伝えようとしていた原発の技術的な問題点と災害の規模を完全には理解していなかったのです

3月11日、マグニチュード9.0の地震と、それによる津波で、福島第一原子力発電所が被害を受けました。原子炉の冷却システムが不能となって、放射性物質が漏えいし、原発から半径30 km圏内が避難区域となりました。 日本では、まだ事故処理に苦闘しています。この日をもって、原子力発電所の安全神話はことごとく崩れ去りました。

菅首相は、中部電力に対して、浜岡原子力発電所の停止を要請しました。今後30年以内に、80%の確率で中部地方に大規模な地震が発生し得る、という地質学者の予測に基づいた判断でした。

一連のニュースや出来事から、私はミュンヘンでのハンス=ピーターとの会話を思い出しました。彼は、原発に断固反対していました。それは、原発が下記のリスクを生むからです。

  1. 多数の国家が核兵器を保有(増加中)
  2. 核拡散によるテロ攻撃や汚い爆弾の使用(可能性あり)
  3. 手違いや自然災害が原因の放射能災害(すでに発生)
  4. 2万年間に及ぶ使用済み核燃料の未知の影響(進行中)

これら4例と、世界中にある438基の原発とをかんがみたとき、災害は必ず起きるという気がしてなりません。

私たちは、エネルギー生産の促進と経済成長の維持のため、原子力発電所を造りつづけています。米国では、104基の原発が全電力の20%を、日本では、54基が30%を供給しています。フランスに至っては、80%を原発がまかなっています。経済成長を減速させることなく、短期間のうちに、原子力エネルギーを新しいクリーンなエネルギー源へと置き換えるのは、不可能かもしれません。でも、もしたくさんの国々が自国のエネルギー需要を満たすために原発を造れば、フクシマを超える大災害を招く危険を冒すことになるのです。

何百基という原発の中で、ひとつでも間違いが起これば、とてつもない人命と環境の損失を引き起こし、しかもそれが長年に及ぶのだと、私たちは学びました。核戦争や汚い爆弾がもたらす損失は計り知れないものでしょう。 自然の力の前にテクノロジーは無力であることを忘れてはなりません。核のリスク、テロリズム、絶え間ない紛争が互いに関わり合えば、代替エネルギーの開発より高くつくかもしれません。

将来に目を向けると、もっと大きな心配があります。半減期が2万4千年というプルトニウムを含む使用済み核燃料をどうやって安全に保管するのか、その保管場所をどうやって私たちの子孫に指し示すのか、という問題です。放射性廃棄物を長期間保管するピラミッドのような建造物はどんなものなら残していけるのでしょうか?

もし、石器時代の人々が出した有害物質が、現代の私たちの生活にまだ影響するのだとしたら、西暦22,000年の人々は、地球のあちこちに埋まっている放射性廃棄物で大変な状況に陥るのではないでしょうか。 「エネルギーが足りなかったんです」などという弁明は通用しないでしょう。

これは、政治指導者が早急に決断してしまうような問題ではなく、子孫のために、全人類が慎重に考えていかなければならない問題なのです。

5月16日―正確を期するため、語句、タイトルを改訂しました

&nbsp… Continue reading

Un poison qui dure vingt mille ans : la sûreté nucléaire et notre long avenir

12 mai 2011

Akio Matsumura

Cela fait 25 ans que le pire accident nucléaire de l’histoire a détruitla centrale de Tchernobyl, en Ukraine, et nous ne connaissons toujours pas exactement l’ampleur des dégâts sanitaires qu’on doit en attendre. Il faut absolument mettre en place un programme de recherche sérieux, qui permette à la fois d’améliorer nos capacités à réagir à un autre terrible accident et de compléter notre… Continue reading

جائزة نوبل التونسية. الحوار كفضيلة سياسية

                                                                           جائزة نوبل التونسية

                                                                         الحوار كفضيلة سياسية

                                         بقلم باتريس بارا مؤسس و مدير تنفيذي لمبادرة الجسر العالمية .

بدا اﻷمر في غاية البساطة ، لقد كانوا جميعا على خشبة المسرح ، مجتمعين للمرة اﻷولى منذ صدور الخبر من أوسلو قبلها بأسبوع (في التاسع من أكتوبر 2015) ؛ بأن ثمرة توحيدهم لقواهم كانت جائزة نوبل للسلام .

أمام… Continue reading

Le prix Nobel tunisien : Le dialogue comme vertu politique

La crise des réfugiés va sans aucun doute redéfinir les politiques économiques, culturelles et géopolitiques globales et mettre à l’épreuve les principes qui sont au cœur de l’Union européenne. La crise syrienne va non seulement continuer à peser sur la crise des réfugiés, mais aussi déclencher potentiellement une révolution en Syrie et dans d’autres pays du Moyen-Orient. Nous aimerions partager ici une mosaïque de points de vue sur ces questions

チュニジア ノーベル平和賞―政治的価値としての対話

難民危機によって、国の地政学的・文化的政策とグローバル経済政策は作り変えられ、欧州連合(EU)の基本原理は試練を受けることになるでしょう。シリアの危機は難民問題を悪化させているだけでなく、シリアや他の中東諸国で革命の引き金となる可能性もあります。このモザイク様に組み合わさった複雑な問題についてともに考えていきましょう。フランスは、シリア、北アフリカ、中東と歴史的なつながりがあり、概して地域の問題に精通しています。私は、親しい友人であるバイロン・ジャニス** とマリア・クーパー・ジャニス夫妻から「ブリッジ・イニシアティブ・インターナショナル(Bridge Initiative International )」の創設者Patrice Barratを紹介されるという幸運に恵まれました。

Patriceは長年にわたって、文化とイデオロギーの壁を越えて架け橋を築くというコンセプトのもと、草の根レベルで活動を行ってきました。近年は「アラブの春」の源であるチュニジアに在住し、自らの使命を果たしながら、今年ノーベル平和賞を受賞した「チュニジア国民対話カルテット」の活動を目の当たりにしてきました。その高潔な働きをぜひご紹介したいと思います。

**バイロン・ジャニスは世界的に有名なコンサート・ピアニスト。グローバル・フォーラムのテーマソング『One World 』を作曲。(作詞はアカデミー賞を4回受賞したサミー・カーン。歌はジョン・デンバー。)妻マリアの父はハリウッド俳優の故ゲイリー・クーパー

— 松村昭雄

チュニジア ノーベル平和賞

政治的価値としての対話

 

「ブリッジ・イニシアティブ・インターナショナル(Bridge Initiative International)」の創設者ならびに事務局長

「ブリッジ・イニシアティブ・インターナショナル(Bridge Initiative International)」の創設者ならびに事務局長

一見あまりに素朴な光景であった。彼らはすぐそこの壇上にいた。1週間前の2015年10月9日、オスロからの知らせ以来はじめて勢揃いした。2013年夏の団結がノーベル平和賞を受賞したという知らせだった。

パリのアラブ世界研究所。私たちの目の前でカルテットはその成り立ちと将来構想について、そしてチュニジア国民の運命について語った。カルテットにとっては、チュニジアの人々こそが真の受賞者であるという気持ちだった。それは偽りではない。事実カルテットを主導するのは市民社会であり、今日まで標榜し続けてきた国民対話は真摯な取り組みによって本物だと認められている。

quartet

なぜ私にこんな話ができるのかというと、2012年以来ほぼ毎月チュニジアで、NGO「ブリッジ・イニシアティブ・インターナショナル」として若者と政府との間に調停プロセスを築く活動をしていたからだ。また、私はジャーナリストとして1980年代からチュニジアを「報道」してきた。1984年に国家を揺るがせ、革命にまで発展しかかった「パン暴動」も取り扱った。

革命は起こる。ただし、それは23年後のベンアリ政権時代であった。1987年、ベン・アリはハビブ・ブルギバを打倒し政権に就いた。ブルギバは、フランス植民地からの開放を果たした「国民の父」として、さらにアラブ世界では稀な女性に権利を与えた近代主義者として広く知られている。2011年1月14日当日のほぼ間際まで、ベン・アリの腐敗した独裁政権は西側諸国(米と欧州)から支援を受けていた。西側は、ベン・アリを経済面で、また対イスラム過激派への戦略面で協力者と見なしていた。しかし、チュニジアの「アラブの春」が若者を中心として各地に波及し、その波は地政学をしのいだ。そして2011年、「ジャスミン革命」が勝利する。… Continue reading

難民問題と各国の責任

 

松村昭雄

国連総会の開幕スピーチでパン・ギムン(藩基文)事務総長が、増え続けるシリアからの難民や移民の窮状に注目し、欧州の首脳と国民が直面する政治的・人道的問題とその責任について訴えました。2011年以降にシリアから逃れてきた人々は400万人以上に達し、イラクやアフガニスタン、その他の危険な国々からの難民を合わせると、数はさらに膨らみます。

ギリシャ、イタリア、ハンガリー、アルバニア、マケドニア、モンテネグロ、セルビア、オーストリア、スロバキア、チェコ共和国、ブルガリア、ルーマニア、トルコ、ポーランド、ドイツといった南・東欧諸国には、難民や移民らの受け入れ国として大きな負担がのしかかります。紛争、革命、激変と無縁ではなかった国々です。

9月、ニューヨーク・タイムズ紙が社説で東欧に対し、過去を思い出すよう促しています。
第二次世界大戦以来のヨーロッパにおける最大の難民危機は、ドイツやその他の国々が一時的に国境を閉鎖するなど深刻さを増している。にもかかわらず、EU加盟国による難民受け入れの分担義務化についてEU内相間で合意に至らなかった。

この惨憺たる反応が一層恥ずべきものであるのは、難民受け入れの割り当てに対し、断固反対したのがいくつかの東欧諸国だということだ。つい最近、西側諸国を受け入れたことで大いに利益を享受し、恩恵をうけた国々である。

反対しているのは中欧・東欧諸国だけではないし、そうした反発はわからなくもない。25年前、ソ連のくびきから解かれた国々のほとんどは未だ周辺国と比べて貧しく、被害者意識が消えていない。遠い国からの人々が自国に大量に入ってきたことなどなければ、中東の危機を身近に感じることもほとんどない。

しかし、こうした事情は関係ない。欧州の首脳たちが目の前にしている問いは移民を受け入れるかどうかではなく、難民が最初にたどりつくギリシャやイタリア、ハンガリーといった国々が大量流入でとてつもなく大きな負担を負っている状況にどう対処するかである。
 

「もしも」ではなく「どうやって」という問いなのですから、国民を動かして了見を変えさせるために国家はどうすればよいのか、わたしたちは自問しなくてはなりません。南欧や東欧には意思決定に政治や経済が入り込む余地がありません。今のような状況に、この余地を広げる何かを考えてみる価値はあるでしょう。

dead boy

勇気ある行動へのインスピレーションにはたくさんの形がありますが、伝統的で有用な二つの源、それは宗教と突然の劇的な出来事です。宗教指導者は、旧態とした問題に新たな取り組みを提示し、やっかいな政治的ジレンマに斬新な視点をもたらしてくれます。

ここで私自身の思い出を振り返ってみます。1989年11月、ベルリンの壁が崩壊して二ヶ月後のことでした。ゴルバチョフ大統領がクレムリン宮殿でモスクワ・グローバル・フォーラムを主催しました。そこで数百人に及ぶ宗教的・政治的指導者が一堂に会して、国境を越えた解決困難な脅威に対し共に取り組んだのです。

言うまでもありませんが、1990年1月には鉄のカーテンが突如消滅し、フォーラムに参加していた首脳たちは活気づいていました。新しい希望の精神によって、クレムリン宮殿内での閉会式でユダヤ教の安息日は異例の超越を成し、東欧と中東出身の政治・宗教指導者たちが人権と開放路線の重要性を強調しました。

その中には、シリアで有力者ながら独立した立場をとる人物、イスラム教最高権威シェイフ・アフメド・クフタロ師がいました。クフタロ師は、大変革に際して和解が必要であると強く訴えていました。(クフタロ師はのちの2001年5月、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世のウマイヤド・モスク訪問に付き添うという歴史的偉業を成しました)。つまり、世界情勢が激動するときにシリアの宗教指導者が東欧への支援を申し出たのです。

25年後、東欧諸国の多くがEUに加盟してきました。新加盟国は政治紛争を経て仲間入りをし、それぞれが連合に貢献しています。経済的・政治的争いが続いていても、EUのひとつの強みは、アフリカやバルカン諸国の人道危機に立ち向かうため一丸となって行動できるところにあります。

先週、フランシスコ法王が米連邦議会で演説し、アメリカ大陸とヨーロッパの両方で高まり続ける難民危機について述べました。
難民や移民を数字でとらえないでください。人として顔を見て、話を聞いてください。彼らの状況にできる限りの対応をしてください…常に人道的で公正に友愛をもって応えてください。最近よくある誘惑―やっかいなことはことごとく切り捨てたいーは避けなくてはなりません。
9月中旬は政治的に華々しく盛り上がる時期です。ニュー・ヨークで各国の首脳らが握手を交わし、平和を口にします。一方で秋が始まる時期でもあります。東欧は寒さが増していきます。子供の命が、他の多くの人の命が危険にさらされています。いやが応でも、ヨーロッパの首脳らと国民は迅速かつ有効な対策で、目の前にいる数百万という新来者たちの生活を自国に受け入れる責任があります。統合は容易でありませんが、EUが進めているプロセスです。新メンバーを迎え入れるときがやってきたのです。

 

 

(日本語訳 野村初美)

&nbsp… Continue reading