オバマ大統領の広島訪問: 「ヒロシマ・ナガサキの惨劇を生き抜いた全世界の人々に、ノーベル平和賞を」再録


松村昭雄

2016年3月22日、私は核問題緊急同盟(NEAA)の立ち上げを発表しました。その同じ日、私たちは、ブリュッセルはテロ攻撃の悲劇を目撃したのです。そして人々は、全世界31か国に430機の原子力発電所(核発電所)がある、ということを、真剣に考え始めたのでした

 

フクシマの事故から、私は一つのことを学びました。つまり、たった一つの原子力発電所(核発電所)が事故を起こした、それだけで、人間の生命に想像もつかないような影響が、数世紀にもわたって、もたらされるのだ、ということを、学んだのです。この一つの事故が、多くの人生をずたずたにし、言い尽くせない痛みをもたらしたのです。もう少し事態が悪化していたら、地球環境はこの先24000年にわたり、甚大な被害を受けるところでした。もしそうなった場合、私たちは、その結果もたらされる将来世代の損害の大きさを見積もることすら、できなかったのではないかと思います。人間の生命への影響を考えたとき、核兵器による放射能と、そして原子力事故(核の事故)による放射能と、両者の間には、ほとんど何の違いもない。このことを、私は、フクシマの事故を通して知りました。それは重要な発見でした。

President Obama and Prime Minister Shinzo Abe of Japan took part in a wreath-laying ceremony at the Hiroshima Peace Memorial on Friday. Credit Doug Mills/The New York Times

President Obama and Prime Minister Shinzo Abe of Japan took part in a wreath-laying ceremony at the Hiroshima Peace Memorial on Friday. Credit Doug Mills/The New York Times

核兵器について、そして、原子力発電所(核発電所)の経済的必要性について、相反する二つの意見が、それぞれの説得力をもって、展開されています。当然のことですが、日本は、核兵器と原子力発電(核発電)の両方について、その技術が持つ負の側面を目の当たりにしてきた国でした。オバマ大統領が広島を訪れましたが、そのとき彼は「ヒロシマとナガサキの未来」を描き出しました。オバマ大統領が描き出したその未来とは、「核戦争の夜明けとして知られるもの」ではなく、「私たち自身の道徳的覚醒の始まりとして知られるもの」でした。

 

被爆者、世界中の若者たち、そして日本の人々に、このメッセージは感謝をもって受け止められたことでしょう。他方で、このオバマ大統領の旅は、ある人々にとっては、議論の的となりました。その議論とは、次のようなものです。「オバマ大統領は被爆者に謝罪するだろうか。彼はそうすべきだろうか。」(実際、彼は謝罪しなかったのですが。)

 

どうでしょうか。オバマ大統領は、何を訴えるために、このスピーチをしたのでしょうか。このスピーチの核心はきっと、「私たちは深く考え続け、そして議論し続けなければならない」と訴えた点に、あったのではないでしょうか。〔オバマ大統領のスピーチは、以下のように語っていました。〕

 

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71年前。ある晴れた、雲一つない朝のこと。死が、空から降りかかってきました。そして、世界は変わってしまった。閃光、そして炎の壁。それらが都市を破壊しました。そのとき、人類は自分自身を破壊する手段を手に入れた、ということが、はっきりしたのでした。

 

どうして私たちは、この地に、ここ、広島に、来たのでしょう。そう遠くない昔、恐るべき恐怖が解き放たれた。そのことを沈思黙考するために、私たちはここに来たのです。私たちは、追悼するために、ここに来ました。10万を超える日本人、女性や子どもたち。数千に及ぶ朝鮮半島の人々。10数名の米軍捕虜。こうした人々が犠牲となりました。その犠牲者を覚えて追悼するために、私たちは、ここに来たのです。この犠牲者の魂が私たちに語り掛けています。自分たちの内側を見つめてごらんと、呼びかけています。私たちは何者であるのか。私たちはどんな存在になれるのか。犠牲者の魂が、私たちに問いかけているのです。

 

なんとしばしば、物質的な進歩や、社会的な革新が、私たちの目をふさぎ、この真理を見えなくしてしまっていることでしょう。何かより高い目的のために、と言って、暴力を正当化する。そんなやり方を、なんとたやすく、私たちは覚えてしまうことでしょう。偉大な宗教はすべて、愛と平和と正義への道を約束しています。自分たちは殺しのライセンスを持っている、などと信じるような人々によって、どんな宗教も広められたりはしていません。国々は立ち上がり、人々に語り掛け、犠牲と協調の雰囲気の内に人々を結束させてしまいます。そして注目に値する偉業を達成しようとする。しかしその際、本当にいつも、他者を抑圧し人間扱いしない類の物語が、そこに語られてきました。

 

私たちは海を渡り空の雲を飛び越えて、交流することができるようになりました。病気を癒し、宇宙を理解できるようになりました。これらはすべて、科学の力によるものです。しかし、こうした発見そのものが、いつもいつも、効率よく人を殺す機械へと転用されてきたのでした。

 

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昨日、私たちは、国防のために命を犠牲にした人々を覚える合衆国の記念日を過ごしました。その犠牲の一つ一つが、私たちみんなの記憶の中に、より深く深くしみこむようにと、私たちはその犠牲となった命を記念したのでした。広島で、オバマ大統領は次のように言いました。「いつか、ヒバクシャの声が、もはや肉声としては私たちの耳に響かなくなる、そんな日が来ることでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶は、決して風化することはありません。その記憶が、私たちが自己満足と戦うための力になります。道徳的な想像力が、この記憶を糧に昂進するのです。そうして私たちは、変わってゆくことができるのです。」

 

この言葉の光に照らされながら、私はもう一度、2011年1月に書いた呼びかけをここに記したいと思います。

 

「タイム誌は“あなた”と大きく銘打って、それを“2006年の人”としました。そこに込められたメッセージの、なんと力強かったことでしょう。もし、“原爆の惨禍を生き延びたすべての人”を一つのグループと見て、そのグループにノーベル平和賞が授与されたなら、と想像します。そのとき、きっと、その人々のメッセージ力は新しい高みに到達することでしょう。そして純然たる個人や機関ではなくグループが受賞できるという前例となって、ノーベル平和賞の選考委員会は新しい境地を拓くことになるでしょう。ヒロシマ・ナガサキの惨劇を生き抜いた世界中の人々は、平和のために力強く前進してきました。しかしそのメッセージは風化しつつあります。世界中の良心の最前列へと投げ込んでくださった平和のメッセージを顕彰するために、これ以上の方法があるでしょうか?」

 

私たちは、ここまで来てしまった私たちの議論をいったん離れなければなりません。私たちの子孫は、数千発の核兵器と、数百機の原子力発電所(核発電所)と、そして数10万トンに及ぶ核物質とを、世界中に遺された中を生きてゆきます。このことを真面目に考えるために、私たちは、時間を割かなければなりません。

 

日本語訳 : 川上直哉 神学博士

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